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不遇な人を「底辺」とバカにしてはいけない理由

本当にね。「無職」ってものを経験したことがない人に言いたいんですけど、端的に言って地獄ですし、自分が頑張ったからってそれだけで抜け出せるもんでもないですからね。

 

管理人は正式に病名がついている発達障害のさらにその他に抑うつと対人恐怖症というトリプルコンボで働けていない状態なわけですが、まあ……辛いですね。

精神的な問題で仕事ができなくなって早1年2ヶ月経ちますが、メンタルの状態はいまだによろしくないです。で、こう、メンタルの状態が良くないと毎日ゴロゴロする羽目になるわけですが、ゴロゴロしてても頭の中はめちゃくちゃ色々なことを考えてしんどいわけです。「こんな生活していちゃダメだ……」「自分はなんてダメ人間なんだ……」「早く働かなきゃいけないのに働くのが怖い……」「ああもう自分はこのまま死ぬんだ……」と。

で、管理人はそれ以前にも短期のアルバイトを転々とする生活を送っていたことがありまして、精神科通いはしていませんでしたけど無職と短期バイトの繰り返しでこれに近い精神状態になっていました。その当時は一人暮らしでお金の問題も乗っかってきましたからね。気が狂いそうになりますよ。「このままだとあと何日後には食費がなくなって、来月の家賃は払えない」ということをずっと考え続けなければならない生活って。

 

でこれを聞いてね。「そんなのお前の甘えだろ、自己責任だ、こんな底辺人間と関わらなくてよかったよかった」とか思う人がいるかもしれないですけど……管理人も昔はそう思ってました。「ニートなんてよっぽどのことがない限りならんだろ」と。

でもねー実際なってみるとね……無職ってホントにちょっとしたきっかけでなるし、なった後に這い上がるのは相当な無理ゲーなんですよ。

今の日本社会って右肩下がりですから、「失敗してはいけない」というプレッシャーに国民総出で晒されているし、社会がみんなして他人にそれを要求するようになってしまっている。だから一度働くことに失敗して無職になると、もうその人を労働の世界に戻すことを許さない。

しかも社会構造の変化で会社が潰れたりリストラに遭ったりしやすくなってますし、雇用の流動化がドウタラとか、40歳定年制導入だとか、人を雇わない、クビにしやすくする方向で動いているので、例え自分がしくじらなくても周りの環境によって思いもよらず転落するということが起きやすくなっているんですよ。

それで再就職しようにも、中途採用ではとにかく職歴の綺麗さを要求されたり、若さを遮二無二要求されたり、企業が「こんな人が欲しいなあ」という妄想をしているスペックが青天井になっていたりして、バイトや派遣ですら何十社と落とされているような人が珍しくもなんともない。

就職氷河期の方とかリーマンショックの時期なんかが典型例ですけど、自分が就職するときに社会の景気がどうなっているのか、仕事に就くための難易度がどうなっているのか、仕事に就けたとてそこから生き残れるのかなんて分からないんですよ。自分の頑張りが及ぼす影響なんて、「社会の空気」みたいなものからしたら塵ほどの大きさもないわけです。いくら社内政治、ゴマスリの上手さで大将気取っていたところで、ふとした拍子で見限られることもあるし、会社から一歩放り出されたら実は俺なんにも通用しない人間じゃんみたいな事例も少なくない。

 

でねー……この時無職とか、そこまで行かなくても派遣とかバイトとか、とにかく弱い立場の人を「やーい底辺底辺」とかバカにしてるとねー、自分が「底辺」になった時に地獄見ますよ。

バカにしてた人たちの中に自分が属する」という現実が襲ってくるとですね、メンタルが保てなくなる。「こんなはずじゃなかったのに」とか「なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ」とか。「俺はこんな連中とは違うはずなのになんで俺はコイツラと一緒にいなきゃいけないんだ」とか。そんな感じでプライドが捨てられなくて、自分の弱さとか、自分の力だけではどうにもならない現実があるんだ、とかを認めることができない。

 

結局平均的な日本人は「自己責任論」の中で生きてるんですよ。「自分に起こることはどれもこれもあれもそれもすべて自分の責任なんだから受け入れろ」という根性論ね。だから「底辺」と呼ばれるような人を見つけたら「コイツラは自己責任でこんな目に遭ってるんだから辛い苦しいだの文句を言う権利はない、黙って現実を受け入れて貧困の中に生きろ」と寄ってたかって追い詰めちゃう。

そうなると、自分の弱みを見せられなくなるんです。自分も弱みを見せたが最後、周りから「自己責任だ、甘えるな」と攻撃されるのが目に見えてますから。本当はできないことでも「できない」と言ったらその途端見捨てられるからなんでもかんでも「できる」と言わなきゃいけない。失敗しても「失敗した」と認めたらどうなるか分かったもんじゃないから隠蔽しなきゃならない。

そうなるとみんな誰にも相談できなくなって、自分にいざストレスとか不運とかが降りかかるとそれを抱え込んで病んでしまう。一度落ちるととことんまで行ってしまう。

1…不遇な境遇に落ちて追い込まれる

2…追い込まれるあまり絶対に自分にできない仕事に就いてしまう

3…当然ブラックなので肉体・精神をやられる

4…辞めざるを得なくなる

5…職歴に傷がつき、年も取って再就職しづらくなる

6…1に戻る

この悪循環ループですね。これやると最終的には死にますからね。冗談ではなく。会社や社会に殺されてしまいます。外形は自死という形を取っていても、内実は社会に殺される。

今の日本社会だとこれに入っちゃいやすいし、でも嫌じゃないですか。殺されるのは。

 

だから今会社の中で成功しているからって「底辺」を叩いて安心するんじゃなくてですね、「無職」「貧困」ってどういう状態なのか、そうなったら公的なセーフティネットってどう頼ればいいのか、経歴も能力もコネもない状態から仕事に就くにはどうしたらいいのか、ブラック企業とはどう戦ったらいいのか、いきなりメンタルを病んだらどうすればいいのか、みたいなことを調べて備えておいた方がいいですよ。

「もしかしたら自分も失業するかも……」「何年も無職を続ける羽目になるかも……」とかを想像しないで「底辺のことは関係ないしwww」みたいに言い出すっていうのは、「俺ぜってえ銃撃とかされねえからwww撃たれるなんて馬鹿な奴の自己責任www」とか言って戦闘員を煽りながら紛争地帯のど真ん中を歩くような行為だと思います。

 

だから不遇な人を「底辺」だのなんだのと嘲笑するのはやめましょう。「自己責任」とか言って自分より下を見て安心してはサンドバッグにするような人が減らないと、生きづらい社会が永遠に終わらなくて世の中が建設的な方向に行かないし、何より自分が追い込まれますから。