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ゲームクリエイター「就職」を目指す必要性について

まず、このエントリは僕の自分語り満載のチラ裏であることをお断りしておきます。

 

表題の通り、ゲームクリエイターとして就職する……端的に言えば「ゲーム会社に就職する」ことを目指す必要性についてですが。

うーん。正直、今の僕に言わせると、「ゲームクリエイターになる」という目標を達成する手段として、「ゲーム会社に就職する」という選択肢は、最初っから外しちゃって構いません。それどころか、「ゲーム会社に就職する」ということを目標にしてしまった時点で、それは地獄の入り口なんじゃないかなーと思います。まあ、これは自分が個人開発者を目指しているがためのポジショントーク……というか、自分がゲーム会社に就職できなかった僻み、酸っぱい葡萄的な意味合いも少なからず込みで言ってますが。

いや、分かりますよ、うん。ゲーム会社に就職するのが、ゲームクリエイターになる「常道」ですよ。少なくとも、世間的に見て。ただ、鍵括弧付きです。

そりゃねえ、ゲーム会社に就職できるってんなら素晴らしい人生が待ってるかもしれませんよ。「会社員」の肩書得とけば、世間は即、自分を真人間であると見なしてくれますし。そんでもって、毎月安定した給料をもらいながら、文句なしに本業としてゲーム制作ができますから。

だけど、その「常道」を歩める人はどのぐらいいるの?って話で。伝聞で申し訳ないですが、ゲームの専門学校を出たところで、ゲームクリエイターとして就職できるのは10%ぐらいらしいです。2年ないし4年間ゲームのことずーっと勉強してきて、さらに新卒カードまで使ってそれなんだから、それ以外はもっときついよね。

 

昔、「島田紳助」という、伝説的なタレントがいました。まあ、正直人間性はどうなんよって人です。お笑い界のトップに位置してたのに、好感度ランクには一切出てこない。ネットでは彼を叩くのが「正しい」行為だった。結局、反社会勢力と繋がっていたという疑惑で、芸能界を引退しましたけど。

で、この人芸能活動以外にも飲食店経営とか、アイドルのプロデュースとかで成功していて、物凄くお金や経営についてよく考えていたんですよ。彼の「常識」に対する考察が面白いんです。

 

「業界……例えば喫茶店が100軒あったとする。外から見たら、100軒全部が結構儲かってるように見える。でも実態は、4、50軒赤字。残り40軒がギリギリやってける程度で、儲かってるって言えるのは10軒程度。ぼろ儲けしてるのは数軒。そして、業界の常識は、失敗した9割が生み出してる。だから、常識から外れることを恐れることは一切ない。なぜなら、それは失敗する常識だからだ」

 

面白い考え方だと、個人的には思います。「常識」に従ったって、半分は失敗するし、残りも40%ぐらいも綱渡り。

 

ここで話が変わりますけど、ゲーム業界就職をちょっとでも目指したことがある人なら分かっていただけると思いますが、ゲーム業界って、競争率が激しすぎるせいで要求される能力が青天井なんですよね。正直、「ゲーム業界就職できる=もし並の業界・会社だったら、圧倒的な優秀さを発揮してあっと言う間に出世レースのトップランカー、もしくは現場でバリバリのどっちに行ってもひとかどの人物になれる」というぐらい、要求される能力のインフレが激しいと思います。例えばプログラマーなら、今ゲームプログラマーをやっている人々が一斉に業務システムやっているIT企業に転職したら、大半のIT業界のプログラマーは一瞬にして消し飛ぶでしょう。そんぐらい能力のインフレが激しい業界です。そんな業界に対して「就職」なんか目指したら、そら道中辛い思いばっかで、その上負ける確率は恐ろしく高くて、どんだけ分の悪いギャンブルなんだよ、と思うわけです。

 

その上、就職したところで、「自分の好きなゲームを作る」なんてことができるとは限らないし。

その辺は↓の記事の後ろの方でちょいと書いてますので。そちらを参照ってことで。

kenmicrogame.hatenablog.jp

さらに話は飛びます。「就職」ってどういうものなのかと考えてみると、「他人の評価基準によって自分という存在を値踏みしていただく」―どんなに怪しげな就活コンサルが必死こいてファウンデーションしようが、結局はこれなんですよ。外部の価値基準、ルールによって自分という存在の意義や価値を規定されてしまう。自分のあずかり知らぬところで勝手にジャッジメントされて、「お前は無能だ」という裁定を次々と下される。こんな悍ましく辛いことはない。

 

でもさあ……そもそも何でゲームクリエイターになりたいのか?

 

まあ、人によっていろいろな理由はあると思いますが、僕の場合「面白いゲームを遊びたい」。これが目的なんですよ。自分が理想とする面白いゲームを遊べたら幸せ。自分の考えたキャラを、自分の作ったステージの中で動かせたら幸せ。ゲームを通して、面白いストーリーを味わえたら幸せ、でも、そういう幸せがそろそろ他人が作ったゲームを買うだけじゃ満たされなくなってきた。ならDIYしようじゃないか。だからゲームを作る。これなんですよね。

今から思うと、ゲーム業界就職を目指してた時の僕は、目的と手段が入れ替わってたんですよ。ゲームクリエイターとして「就職」すると何がいいのか。その答えが、「ゲーム作りを仕事にするにはゲーム会社に就職するのが『常識』だから」。

おかしくね?と今になったら分かります。「手段」であるはずの「ゲーム会社への就職」が、気づいたら「人生のゴール」にすり替わっている。だいたい、その「ゲーム作りのためにはゲーム会社に入るのが常識」なんて世間的な思い込みに従ったところで9割方失敗するし、自分は案の定9割方に入ってしまったわけで。

 

でも、「ゲームは個人開発者として、ひとり同人サークルを立ち上げて作ろう」と考えてからのここ半年ぐらいは、「ゲーム会社に就職したい」という執着を、かなり手放せるようになってきました。まーそれでも完全に「はい、もうゲーム会社にはこれっぽっちも未練はありません」という領域に達している、と自信を持っては言えないところありますけどね。ただ、ゲームクリエイターを目指す万人がゲーム会社への就職を目指すのが最良というわけじゃないし、自分もそういう「ゲーム会社に就職することで幸せになれるタイプ」じゃない一人と気づいた。てな話。

 

どうにもね。さっきも言った通りゲーム業界なんて求められる能力が天元突破していますから。競争社会だし。やれプログラミングスキルだの、絵を描く能力だの、長時間労働常態化でも耐えられるかだのの競争に勝ち抜いて人を出し抜かないと就職できないし、出世しないと自分の企画も立ち上げられない。それに加え、狭い業界なので人間関係が無駄に濃密で、コネクションが重要だったりもしますし。僕は特に精神が普通じゃないので、人間関係にしくじってありとあらゆる可能性を失いました。

結局のところ、他人の尺度に自分を合わせていくことができなかった。人間としてのスペックも世間一般の水準より格段に劣っているし。そこから無理に頑張ったところで、別に会社で評価されるような人間にもなれないし、その先に自分の遊びたい理想のゲームもないだろうと思って、就職を諦めました。

 

それよりも今は、自分のペースで焦らずゆったりと、まずは自分が遊んでて楽しいかどうか?を基準にゲームを作りたい。長期的に見て、自分が幸せになれるかどうか。そっちを優先する。それを見失わないようにしないと、他人が作った判断基準に踊らされて痛い目を見る。

 

いや~ホント、「就職」を意識してから今までの軽く10年はずーっと、「自分は何故ゲーム作りをしたいのか?どんなゲームを作りたいのか?」が分からなくて、あるいは分かったところで実現する手段を知らなくて、苦しんでいましたね。新卒での就活は、作りたいゲームもないのにとにかく「学校卒業したらゲーム関連の仕事がしたい。ということはまずはゲーム会社に就職するのが第一歩であり最大の目的だ」とばかりに就活して撃沈して、自分に全然合わない企業に入っちゃって、結果周りと喧嘩して辞める羽目に。二度目の就活の時もそうです。手当たり次第にゲーム会社に応募書類を送って、落選して落ち込んで、精神が荒んでいって……たまに面接まで行っても、面接官が論破厨みたいな奴で、「面接=応募者VS俺どちらが正論で相手を打ち負かせるかの戦い。ゲーム業界で長年働いているから俺が絶対に勝てて超有利キモチイイイ~~~www」なんてこともあって。いや面接官どころじゃない、就職エージェントにまでそういう人間が存在するってんだからもう仰天。その頃はテスターとしてゲーム業界の端っこにかじりついてはいましたけど、またしても上司や周囲と不和ばっか起こして。自分なりに、世間が要求してくる尺度に合わせようと頑張ってはみたけど、結局自分にはできなくて、末期にはもう世間全員が敵しか見えなかった。

 

それがとあるきっかけでふっと「ああ、もうやめよう」と、一気に憑き物が落ちました。もう「ゲーム会社」の方を向くのはやめよう、と。

 

その代わり、個人開発という領域がきちんと存在することに今更になってようやく気付いた。ぶっちゃけ、個人開発のゲームなんて売れない。十中八九どころか、九割九分九厘「本業」にはなり得ない。「副業」止まりも「副業」止まり、小遣いにもならない。その代わり、スキルも経験も、若さも綺麗な職歴も高い知能も口の上手さも強いメンタルも何もない人でも、誰のハンコもなく「ゲームクリエイター」を名乗れる世界。

どうせ「常道」にはもう戻れないんだ、常道から外れたっていいじゃないか。こういうところなら、自分もゲームを作って、それで幸せになれるんじゃなかろうか。どうせ「長年積み重ねてきた地位や名誉」なんて存在しないんだ。やってみよう。

 

そういう感じで、管理人はゲームクリエイター「就職」を目指す必要性は「ない」と判断して、個人開発者になると決めた次第です。ゲーム会社に入ってやることの規模を1/1000に縮小して、誰の承認も必要なく好き勝手やっていく代わり、労力も自分一人で引き受ける。結局そういう生き方の方が、他人の評価を気にして無理に自分を矯正して、わざわざ自分を痛めつける必要がなくなる。そしたら生きる希望が見つかる。そう思います。なんだったらこっちの方がよっぽどゲームクリエイターになるための「常道」なんじゃないかと言いたいぐらい。

 

なんでもそうです。作曲家でも、イラストレーターでも、発明家でも、料理人でも、それで飯を食うような「生業」としなきゃいけない、名声を手に入れなきゃ価値はない……いや、そうじゃないんだ。自分がそれをやりたいなら、自分一人で好き勝手にやって、インターネットというインフラを活用して好きに公開して。で、それをマネタイズしたかったら、やってみればいい。そういう風に発想を転換したいものです。

 

とにかく、どうしても「就職」を目指すというのは、世間の尺度―もっと言えば、応募先の会社の尺度に合わせて自分を矯正する、ということになってしまいがちなんですよね。だけど、そんなパッケージングされた杓子定規な型で、本当に自分が幸せになれるのか―人間個人個人は多様だし、その個人個人はそれぞれ自分で自分の人生の目的、幸せの形を決めていいんじゃないか。

世間の尺度を気にしないで、自分一人で好き勝手やれる遊び場を作る方が、自分の幸せには近づく。そう考えると、ゲームクリエイター、あるいはそのワナビーのうちのけっこうな割合にとって、実際には「ゲーム業界就職」は不要なんじゃないか、と思えてなりません。