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不遇な人を「底辺」とバカにしてはいけない理由

本当にね。「無職」ってものを経験したことがない人に言いたいんですけど、端的に言って地獄ですし、自分が頑張ったからってそれだけで抜け出せるもんでもないですからね。

 

管理人は正式に病名がついている発達障害のさらにその他に抑うつと対人恐怖症というトリプルコンボで働けていない状態なわけですが、まあ……辛いですね。

精神的な問題で仕事ができなくなって早1年2ヶ月経ちますが、メンタルの状態はいまだによろしくないです。で、こう、メンタルの状態が良くないと毎日ゴロゴロする羽目になるわけですが、ゴロゴロしてても頭の中はめちゃくちゃ色々なことを考えてしんどいわけです。「こんな生活していちゃダメだ……」「自分はなんてダメ人間なんだ……」「早く働かなきゃいけないのに働くのが怖い……」「ああもう自分はこのまま死ぬんだ……」と。

で、管理人はそれ以前にも短期のアルバイトを転々とする生活を送っていたことがありまして、精神科通いはしていませんでしたけど無職と短期バイトの繰り返しでこれに近い精神状態になっていました。その当時は一人暮らしでお金の問題も乗っかってきましたからね。気が狂いそうになりますよ。「このままだとあと何日後には食費がなくなって、来月の家賃は払えない」ということをずっと考え続けなければならない生活って。

 

でこれを聞いてね。「そんなのお前の甘えだろ、自己責任だ、こんな底辺人間と関わらなくてよかったよかった」とか思う人がいるかもしれないですけど……管理人も昔はそう思ってました。「ニートなんてよっぽどのことがない限りならんだろ」と。

でもねー実際なってみるとね……無職ってホントにちょっとしたきっかけでなるし、なった後に這い上がるのは相当な無理ゲーなんですよ。

今の日本社会って右肩下がりですから、「失敗してはいけない」というプレッシャーに国民総出で晒されているし、社会がみんなして他人にそれを要求するようになってしまっている。だから一度働くことに失敗して無職になると、もうその人を労働の世界に戻すことを許さない。

しかも社会構造の変化で会社が潰れたりリストラに遭ったりしやすくなってますし、雇用の流動化がドウタラとか、40歳定年制導入だとか、人を雇わない、クビにしやすくする方向で動いているので、例え自分がしくじらなくても周りの環境によって思いもよらず転落するということが起きやすくなっているんですよ。

それで再就職しようにも、中途採用ではとにかく職歴の綺麗さを要求されたり、若さを遮二無二要求されたり、企業が「こんな人が欲しいなあ」という妄想をしているスペックが青天井になっていたりして、バイトや派遣ですら何十社と落とされているような人が珍しくもなんともない。

就職氷河期の方とかリーマンショックの時期なんかが典型例ですけど、自分が就職するときに社会の景気がどうなっているのか、仕事に就くための難易度がどうなっているのか、仕事に就けたとてそこから生き残れるのかなんて分からないんですよ。自分の頑張りが及ぼす影響なんて、「社会の空気」みたいなものからしたら塵ほどの大きさもないわけです。いくら社内政治、ゴマスリの上手さで大将気取っていたところで、ふとした拍子で見限られることもあるし、会社から一歩放り出されたら実は俺なんにも通用しない人間じゃんみたいな事例も少なくない。

 

でねー……この時無職とか、そこまで行かなくても派遣とかバイトとか、とにかく弱い立場の人を「やーい底辺底辺」とかバカにしてるとねー、自分が「底辺」になった時に地獄見ますよ。

バカにしてた人たちの中に自分が属する」という現実が襲ってくるとですね、メンタルが保てなくなる。「こんなはずじゃなかったのに」とか「なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ」とか。「俺はこんな連中とは違うはずなのになんで俺はコイツラと一緒にいなきゃいけないんだ」とか。そんな感じでプライドが捨てられなくて、自分の弱さとか、自分の力だけではどうにもならない現実があるんだ、とかを認めることができない。

 

結局平均的な日本人は「自己責任論」の中で生きてるんですよ。「自分に起こることはどれもこれもあれもそれもすべて自分の責任なんだから受け入れろ」という根性論ね。だから「底辺」と呼ばれるような人を見つけたら「コイツラは自己責任でこんな目に遭ってるんだから辛い苦しいだの文句を言う権利はない、黙って現実を受け入れて貧困の中に生きろ」と寄ってたかって追い詰めちゃう。

そうなると、自分の弱みを見せられなくなるんです。自分も弱みを見せたが最後、周りから「自己責任だ、甘えるな」と攻撃されるのが目に見えてますから。本当はできないことでも「できない」と言ったらその途端見捨てられるからなんでもかんでも「できる」と言わなきゃいけない。失敗しても「失敗した」と認めたらどうなるか分かったもんじゃないから隠蔽しなきゃならない。

そうなるとみんな誰にも相談できなくなって、自分にいざストレスとか不運とかが降りかかるとそれを抱え込んで病んでしまう。一度落ちるととことんまで行ってしまう。

1…不遇な境遇に落ちて追い込まれる

2…追い込まれるあまり絶対に自分にできない仕事に就いてしまう

3…当然ブラックなので肉体・精神をやられる

4…辞めざるを得なくなる

5…職歴に傷がつき、年も取って再就職しづらくなる

6…1に戻る

この悪循環ループですね。これやると最終的には死にますからね。冗談ではなく。会社や社会に殺されてしまいます。外形は自死という形を取っていても、内実は社会に殺される。

今の日本社会だとこれに入っちゃいやすいし、でも嫌じゃないですか。殺されるのは。

 

だから今会社の中で成功しているからって「底辺」を叩いて安心するんじゃなくてですね、「無職」「貧困」ってどういう状態なのか、そうなったら公的なセーフティネットってどう頼ればいいのか、経歴も能力もコネもない状態から仕事に就くにはどうしたらいいのか、ブラック企業とはどう戦ったらいいのか、いきなりメンタルを病んだらどうすればいいのか、みたいなことを調べて備えておいた方がいいですよ。

「もしかしたら自分も失業するかも……」「何年も無職を続ける羽目になるかも……」とかを想像しないで「底辺のことは関係ないしwww」みたいに言い出すっていうのは、「俺ぜってえ銃撃とかされねえからwww撃たれるなんて馬鹿な奴の自己責任www」とか言って戦闘員を煽りながら紛争地帯のど真ん中を歩くような行為だと思います。

 

だから不遇な人を「底辺」だのなんだのと嘲笑するのはやめましょう。「自己責任」とか言って自分より下を見て安心してはサンドバッグにするような人が減らないと、生きづらい社会が永遠に終わらなくて世の中が建設的な方向に行かないし、何より自分が追い込まれますから。

発達障害的言われると嫌なコト三選

管理人、注意欠如多動症(ADHD)と自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けています。超絶ざっくり言うと「多数派の常識が通用しない脳を持っている人」ということです。

で、こういった発達障害の存在は認知されてきているとは思うんですが、でも定型発達の人との断絶っていうのは埋まることはないと思います。絶対数の違いもそうですし、さらに元々持っているものとか積み上げてきたものが違うので。言ってみたら外国人とコミュニケーションするのと一緒だなと。発達障害側から定型の人を見るとそう思うし、逆に定型側から見ると……外国人どころじゃなくて地球人とエイリアンぐらいの差は感じてるかも。

そうは言っても発達障害と定型発達の人が交わらなきゃいけない場面はあるので、今回は発達障害者との無用なトラブル防止のために、管理人的に「これ言われるの嫌だなあ……」と思う言葉を紹介したいと思います。

 

1.発達障害は甘えだろ

一番傷付く言葉ですね。一番傷付くけどこれはね……ある意味分かりやすいんですよ。「単なるわがままを病気と言い張って気を遣ってもらおうなんて甘ったれたこと言ってんじゃねえ!」みたいなテンプレな無理解から来ている言葉で。

でも、管理人的にはね、傷つきポイントってそこじゃないというか……発達障害は医学的にも認められた病気なんだ!甘えなんかじゃない!」って言い返したいわけじゃないんですよね。てか、言い返せたらどれだけいいか!

管理人はこれを聞くとですね……「確かに甘えなのかもしれない……」ってとこで傷つくんですよね。「いや確かに普通の人なら当たり前のコミュニケーションが取れないし、普通の人なら当たり前の家事ができないし、普通の人なら当たり前の仕事ができないし……でも『頑張れば』できるところをやってないからこれは確かに甘えなんだな……」って思っちゃうんですよ。

頑張れば」の部分が曲者で、「『頑張れば』スーツ着れるけどスーツの感触が嫌いだから着たくない」「『頑張れば』部屋の掃除ができるけど意欲が湧かなくて掃除ができない」「『頑張れば』遅刻しないでいられるけど少しでも気を抜くと遅刻常習犯」というようになまじ「頑張ればできはする」から「でも頑張れないということは自分は甘えなんじゃ……」と考える。

精神疾患って全般「健康診断の数値がこうなので」みたいな数値で測れないんで。心理検査もありますけど、そういうのも「こういう結果が出る人は発達障害と言って間違いありません!」みたいな性質のものじゃないんで。「いや、私は病気です、何故ならこの心理検査でこういう数値が出てるからです」って証拠が出せないんですよ。「まあ精神科の先生が言ってるからそうなんだろうなあ……」としか分からないわけです。

だから人に言われるまでもなく常々思ってるんですよ。「あれ?自分ただの甘えじゃね?」って。その上で他人にも「発達障害なんてただの甘えだろ」とか言われるとねえ……「そうか!他人から見てもやっぱり自分はただの甘えなんだ!自分はなんてダメ人間なんだ!」って落ち込んでしまうわけです。

だからですね、どんな病気や障害でも言えることですけど、というか人間全般そうですけど、「甘えだろ」は絶対言わないで欲しいです。

 

2.誰だってそんなもんだよ

1と似ていますけどこれは多少なりとも善意で言っている場合が多いとは思います。発達障害でコミュニケーション上のトラブルや日常生活のトラブルを起こして落ち込んだりしていると「まあまあまあみんなそうだし自分だってそうだから……」みたいに言われて。慰めの気持ちで言ってくれるんだろうなあ、と思うんですけど、それは分かるんですけど、管理人的には「いやそうは言ってもねえ……」って思ってしまいます。

確かにね。発達障害の特徴とされる要素ひとつひとつを挙げていったらね。幅広い人が当てはまる可能性があるものも多いですよ。例えば「普通なら気にならない音や肌触りが気になる」とか「思ったこと空気読まずに言っちゃう」とか「俺ルールにやたらこだわる」とか「孤独が好きだ」とか「他人の気持ちが分からない」とか「突然の変化に弱い」とか「興味ない話に合わせられない」とか「マルチタスクができない」とか「遅刻が多い」とか「片付けられない」とか「集中力がない」とか「計画性がない」とか……ありますけど、でもそれ全部持ってる人ってどれくらいいるかってなると、そこで発達障害とそうじゃない人の違いが出てくる。そんな中で発達障害じゃない人に「自分もそうなんだよねー」と言われても、管理人的には「いやそうは言うけどね、貴方いっつも僕みたいにしょっちゅう人と喧嘩したり日常生活に支障が出ていたりしますか?僕はそのせいで毎日がストレスで四六時中気を張ってなきゃいけなくて一日が終わるといつもグッタリなんです」って思うわけですよ。「お前に何が分かるんだよ」ってね。

これを言い出すと、最終的には不毛な「可哀想マウント合戦」に落ち着きます。これはこれほど不毛なものが世の中にありますかってレベルで不毛です。辛さは数値化できませんから、いかにうまく自分が不幸かプレゼンするのが上手いか合戦になるんですけど……まあ通常の「俺は恵まれてる合戦」以上に空しいですよねえ。「可哀想アピール」って端的に言って自傷行為ですし。

これも病気や障害の人に限らずですけど、安易な共感は人を傷つけると思います。「辛さというのは数値化できなくて人それぞれだから、この人には自分の知らない苦労があるんだろうなあ」という目線を持ちたいものです。

 

3.当事者と繋がろう

これは人によると思いますが、あのねー……これねー、難しいんですよ。

精神疾患関連でかなり言われている言葉が「一人で悩まず当事者同士で繋がろう!」ということです。テレビのニュースとかネット記事とかで発達障害のことについて取り上げるとだいたい「発達障害の人は当事者同士の集まりの場を設けてお互い学び合い連帯しています!」みたいなことが一緒に取り上げられてます。それを聞きかじった人から「ねえねえ当事者と繋がらないの?」と聞かれることがあるんですよ。

まあメリットもありますよ。同じ障害を持っている人同士なので「ある程度は」共感しやすです。あとは居場所を見つけやすいとか。発達障害の人がそれによってトラブルを起こして社会からつまはじきにされるという事象は間違いなくあります。多数派の人と正常なコミュニケーションが取りづらいのでね。そこをマイノリティ同士で連帯して乗り越えようというのはよくある発想ではあります。

ただねえ……デカいデメリットがあるんですよ。

 

障害の特性や置かれた立場によって壁ができることがある。

 

例えば管理人は自閉スペクトラム症の症状があるんですが、自閉スペクトラム症って病名は同じでも「積極奇異型」「受動型」「孤立型」「尊大型」というように型が分かれています。けっこうそこで壁ができるんですよ。大まかなくくりで言うと「自閉スペクトラム症」なんだけど、そこから詰めていくと違いが出てきてしまう。例えば「自分は孤立型で人と喋りたくありません放っておいてください」という人が「積極奇異型だけど人と関わること自体は大好きですねえねえ聞いて聞いて!」と詰め寄られて「やばっ、距離近っ、やめて欲しいんだけどそういうの」って壁ができる、みたいにね。同じ当事者だけど分かり合えない。

知らない人からすると「発達障害の当事者同士だから仲良くできるんじゃないの?」みたいに思ったりする……ところがその内実、例えば地球人が宇宙人を見て「同じ宇宙人同士だから仲良くできるんじゃないの?」と思っているけど、でも実際に当事者同士からしてみたらAくん火星人、Bくん金星人、違う星の文化は分かり合えません、みたいなことがある

で、こういう壁ができちゃったときにねえ……普通のコミュニティだったら「まあまあ分かり合えない人もいるよね」で終わることも多いんだろうけど、そこは発達障害、正常な判断ができないこともあるので、激しい喧嘩がバチバチ始まっちゃったりするんですよね。

うっかりしていると当事者会を「社会に居場所のない発達障害当事者たちのユートピア」みたいに思っちゃいますけど、いやいやそれは「発達障害」という部分だけを特別視しすぎです。ただの趣味のコミュニティと変わらないですよ。「ゲーム好き」だと思って集まったら「スマホのソシャゲでギルド作って協力プレイ大好きです」「一人で黙々と家庭用ゲーム機でRPGプレイしてストーリーに没頭します」「話合わないに決まってるじゃん」「はい解散」みたいな状態。なんなら元々揉め事を起こしやすい特性を持った人が集団を作るんだから、トラブルの頻度も健常者のコミュニティより高くて、「発達障害の当事者会すら追い出されました」という人が出現したりする。

そもそも発達障害の人って発達特性上社交的な場が苦手だったり、これまで他の人と揉め事を起こしてきた経験からナイーブになっていたりすることも多いのでね。いきなり当事者会にポーンと放り込んで上手くいくかというとかなり厳しいと思います。

例えば自分が足の骨を折ってて、「足は動くんだから登山しなさい」と言われたらいやちょっと待てよと言いたくなりますよね。それは主治医と相談して専門家の下で少しずつ足のリハビリをした先だろうと。それと同じで、管理人的には当事者会を勧められたくないです。今のところは専門家がいるところがいいです。心理的安全性の面から言って。

 

というわけで発達障害的言われると嫌なコト三選でした。他にも「これ言っていいの?」とか「自分はこれ言われると嫌です」的なことがあったら教えて頂けると助かります。

 

でも生きる目標ができた!『Death end re;Quest Code:Zion』までは生き残ってやるぜ!

何となく勉強のやり方を書いてみる。

なんか最近数打ちゃ当たる方式でホワイトカラー系の資格を取得しているのだが、これが全然楽しくありません。ゲーム作りという面で言ったら、生産的なことは見事に何もしていない気が……。まあ、ゲーム作りのためじゃなくて、履歴書を充実させるためだけの勉強が楽しいわけないんですが。

 

そうは言っても、会社から評価されるために資格に追い立てられてるよー、的な人は世の中に尽きることはないので、なんとなく管理人的資格試験攻略法を書いていきます。

ちなみに管理人だったら例えばモデリングや作曲やシナリオライティングやその他諸々のゲーム作りに要求される作業、みたいな「自分のやりたいこと」のために行う勉強は別の話ですよ。ゲームクリエイターは業務独占でも名称独占でもありませんし、このブログを読んでいる方は就職を目指すわけでもありません……よね、そう仕向けてますから(おいおい)。

ゲーム制作は自分の純粋な興味関心のためにやるわけですし、ゲーム制作というのは領域も多岐にわたっていればやりたいことも個々人で違うわけで正解がないものですから、そこで評価されるために資格を、というのは野暮だと思います(例えば3Dモデルやエフェクトの作成を0から始める人が受験するかしないかはともかくCGクリエイター検定や色彩検定の本を読む、プログラムを0から始める人がC言語プログラミング能力認定試験の本を読む、みたいなのは無駄じゃないと思いますけどね)。

 

さて、僕の勉強法ですが、本当に分かりやすいです。最初から最後までただただ過去問をやりまくる。過去問がない試験は、予想問題集をやりまくる。資格試験に合格点に達するまでに必要な勉強を見極めて知識を頭に入れることと、勉強した知識を実際に使って問題を解いてみること。過去問マラソンは、それがいっぺんにできます。

もし資格を受けようとなったら、もう過去問行きます。初見で過去問を解いたら普通に合格点に達しちゃったよー、ならいいんですけど、大概はそうじゃないはずです。解けない問題ばっかりあります。解ける解けないとか以前に、問題で何を問われているのかすら分からないとかザラにあります。1問解いたら即模範解答見ましょう。丁寧な問題集だったら、親切に説明してくれるはずです。

 

で、ですね。試験問題って2種類ありますよね。「この単語について知っているか?」タイプの問題と「この作業きちんとできるか?」タイプの問題。

論述式の試験ならともかく、初級~中級レベルの試験とかだったら、全部がマークシートで四つの選択肢から一つ選ぶ問題、とかありますよね。例えば、記念すべきITパスポートの第一問目はこんな感じ。

コンプライアンス経営を説明したものはどれか。

ア:株主に対して企業活動の正当性を保持するために,経営管理が適切に行われているかどうかを監視し,点検する。

イ:株主やそのほかの利害関係者に対して,経営活動の内容,実績に関する説明責任を負う。

ウ:企業倫理に基づき,ルール,マニュアル,チェックシステムなどを整備し,法令や社会規範を遵守した企業活動を行う。

エ:投資家やアナリストに対して,投資判断に必要な正確な経営情報を適時に,かつ継続して提供する。

 

これ前者タイプの問題ですよね。答えは「ウ」。コンプライアンスとは法律とかモラルとかを守りましょーって話です。ところが、貴方は「コンプライアンス」が分からず、四択どの文章の意味も全く理解できないレベルだったとします。仕方ないので答えを見て、どうやら「ウ」が「コンプライアンス」でコンプライアンスは法律を守ることらしいと分かりました。

ここで、問題集の解説には大概「アはコーポレートガバナンスで、イはアカウンタビリティで、エはディスクロージャです。ちなみにコーポレートガバナンスとは……とにかくまとめて覚えとけ!」と書いてありますね。で、普通の勉強法指南の場合、「不正解の選択肢もきちんとどこがどう間違っているのかを解説を呼んでしっかり理解しなさい」と言われますね。

いや、問題集の言う通り真面目に覚えるのが理想的ですよ。もちろん。ですが……管理人、四つのことを一度に覚えられるほど頭良くないんです!一度に一つのことしか覚えられません!不正解の選択肢まできっちり解説を読んでしっかり理解しようとすると、頭パンクします。

なので不正解の選択肢は解説ごとマルっとバッサリカット!「コンプライアンスときたら法令順守!」これだけ覚える!覚える量1/4にカット!

「え?そしたらほかの問題でコーポレートガバナンスが出た時に困るんじゃないの?」……もっともな疑問です。答えはYESもYES。困ります。でも大丈夫。コーポレートガバナンスが答えになる問題が出てきたら、「コーポレートガバナンスときたら企業統制!」と改めて覚えればいいだけです。

どうせ重要な単語なんだったら、今答えにならなくてもいつか答えになる問題が登場するでしょう。覚える機会は何回も来ます。では、例えばもしこの後過去問解いててアカウンタビリティ」が全然出て来なかったら……所詮はその程度の単語だったということです。あんま頑張って覚えても実入りはないでしょう。勉強が進んで、余力ができたらひょいっとつまみ食いするぐらいがちょうどいいです。

 

で、後者の「この作業きちんとできるか?」タイプの問題ですが、こちらは「解法」を暗記するのがいいですね。

 

例えば、基本情報技術者試験は、管理人持ってないけど、この度開示された問題20問(少……)の第1問はこうなってます。

・16 進小数 0.C を 10 進小数に変換したものはどれか。
ア:0.12

イ:0.55

ウ:0.75

エ:0.84

 

答えは「ウ」です。0.Cを10進数に直すには、0+(12×(16の-1乗))=12/16=3/4=0.75。

ただ、こういう計算問題は数字を暗記してもしょうがないですよね。数字を変えればいくらでも違う問題作れてしまいますから。

だからこの場合「解法暗記」。「16進数→10進数と来たら整数部分は1*ナントカ+16*カントカ+256*ウンタラ...、小数部分は16分の1*ウンチャカ+256分の1*カンタラ+4096分の1*ドウタラ……」と暗記する。「16進数2桁を2進数8桁に変換と来たら、16進数を1桁ずつにぶった切ってそれぞれ16進数1桁を2進数4桁に変換してがっちゃんこ」と暗記、とかね。とにかく試験中は「考える時間」を減らしたいところです。もし暗記しきれないほど難しい問題が出てきた時に頑張れる余力が欲しいですから。だから「暗記」が大事なんだけど、資格試験に出るようなフクザツなことって暗記できないよねぇ。ということで、過去問マラソンをお勧めするわけです。

過去問で何回も出てくる→重要→暗記しといた方がいいし、何回も出くわすから覚えちゃう

過去問で全然出てこない→所詮その程度の単語や公式→放置!

これができますから。

もちろん応用的な部分に入っていけば行くほど暗記では通用しなくなってきますが、世間的に取っている人が多いような基礎的な資格・検定ならこれでどうにかなるかと。

 

で。ここがある意味最大の難関なのですが、受験するタイミングについて。まだ年に何回かない試験……例えば情報処理技術者試験の、管理人は取る気なーい。日曜朝はヒーローの時間です。そんな応用情報とかだったら年に2回しかないから強制的に受験のタイミングができますが、CBTでいつでも受けれる基本情報、セキュマネ、iパスとかだと「いつでも受けられるよな……いつでも受けられるからには自信ついてから受ければいいな……つまり今じゃないな……」が永遠と続いて受験しない受験しない。落ちるの怖いし。あと再受験は金銭的にも打撃だし。

だからこうしましょう。「過去問で95%以上取れたらその週のうちに受験する」とか、「過去問で3回連続80%以上取れたら、2週間後に予約する」とか、受験するタイミングを決める閾値定量的に定めます。これは自分の考え方とか試験の難易度とかによって変えていいですが、とにかく強制的に受験しましょう。過去問や予想問題の手に入れやすさとか、過去問の使い回しがどんだけあるかとかにもよりますが、だいたい8掛けでも合格圏内にいるような点数なら、まあまあ安心して受験できるんじゃないかと。

 

それから、たまに「試験にランク付けがあるんだけど、いきなり上位ランクの試験から受けれるんだよね。最初から上位行っちゃった方がいいんじゃないか?」という人がいますが……うーん、管理人的には馬鹿丁寧に下位ランクから順番に受けてった方がいいと思います。

これは簡単に合格できるものから少しずつ成功体験を積めるというのもありますが、それ以上に「自分にとっての向き不向き」……というか、「やってて露骨にテンション下がることがないか」が分かった方がいいからです。

資格試験で分かるのは「知識」とか「技能」とかです。端的に言えば「テクニック」ですね。これは身に着けられます。過去問マラソンをすれば、だいたいは解き方も小慣れてくる。

例えば、「就職のためには簿記が有利だから」ということで、「これゲーム開発に関係あるかね」と思いながらも簿記の勉強をする。ま、何回も簿記の本を読んで模擬試験をやれば、できるようになります。でも、「簿記ってつまらないなあ、嫌だけどやんなきゃいけないからなあ」という感覚は、そうそう変わらないと思います。

管理人の考えでは、

 

モノゴトをどこまで極められるか=興味関心×才能×かけた時間

 

という式があります。残念ながら「才能」がなければ、めちゃくちゃ極めることはできません。こればっかりはどうしようもない。でも、「興味関心」と「かけた時間」である程度補うことはできる。プログラミングとかデザインの才能がなくても、ある程度までだったら頑張ればなんとかなる。そんな感じ。

では、この3つのうちどの要素が一番影響をもたらすのか……「興味関心」なんじゃないですかね。「才能」があっても当人に生かす気がなければどうしようもないし、やる気ないのに「時間」だけかけてもどうにもならないのは、皆様学校教育で嫌というほど体験したことでしょう(爆)。というか、時間をかけることすら思いつかないですよね。シンプルにやりたくないですから。

 

この、「継続したいかしたくないか」を見極めるのが大事だから、正直に初級ランクの資格から始めた方がいいわけです。初歩的な勉強、いわゆる「履歴書に書けるギリギリの資格」ぐらいだったら、途中でやる気失ってもある程度はなんとかなります。だがしかし。その先に苦痛が伴う。資格は上級に行くにつれて、物量や複雑性が増して覚えるのがキツイ、やるのがツライ、勉強時間かかる、となっていくのが自然法則です。こうなってくると、「興味関心」を維持できないとやってられません。例えば、ITパスポートって、普段からパソコン使っててパソコン音痴ではありませんよー、みたいな人でも100時間はかかるそうです。1日超頑張って4時間勉強したとして、約1ヶ月。でもって、やってみたら思った以上に辛かった。無理っぽい。てか興味ないと思ったとします。

じゃあ、上位資格の基本情報は200時間、応用情報は500時間と勉強時間かかるらしいけど、そんな辛いものに貴重な時間かけたくないですよねぇ。この時「下位から順番に取っていこう」だったら、ITパスポートの時点で辞められます。でも、「いきなり応用情報行くぞ!」とかこだわったら……恐ろしいことになる。

なので資格試験は、下の方のランクからお行儀よく階段を上るようにしましょう。

 

資格試験の必要に駆られているという方、参考にしてみてください。

 

二ノ宮しいなって絶対東大卒とかだって……じゃないとあんな大手っぽく描写されているゲーム会社でいきなり管理職抜擢される理由が分からん。

ゲームクリエイター「就職」を目指す必要性について

まず、このエントリは僕の自分語り満載のチラ裏であることをお断りしておきます。

 

表題の通り、ゲームクリエイターとして就職する……端的に言えば「ゲーム会社に就職する」ことを目指す必要性についてですが。

うーん。正直、今の僕に言わせると、「ゲームクリエイターになる」という目標を達成する手段として、「ゲーム会社に就職する」という選択肢は、最初っから外しちゃって構いません。それどころか、「ゲーム会社に就職する」ということを目標にしてしまった時点で、それは地獄の入り口なんじゃないかなーと思います。まあ、これは自分が個人開発者を目指しているがためのポジショントーク……というか、自分がゲーム会社に就職できなかった僻み、酸っぱい葡萄的な意味合いも少なからず込みで言ってますが。

いや、分かりますよ、うん。ゲーム会社に就職するのが、ゲームクリエイターになる「常道」ですよ。少なくとも、世間的に見て。ただ、鍵括弧付きです。

そりゃねえ、ゲーム会社に就職できるってんなら素晴らしい人生が待ってるかもしれませんよ。「会社員」の肩書得とけば、世間は即、自分を真人間であると見なしてくれますし。そんでもって、毎月安定した給料をもらいながら、文句なしに本業としてゲーム制作ができますから。

だけど、その「常道」を歩める人はどのぐらいいるの?って話で。伝聞で申し訳ないですが、ゲームの専門学校を出たところで、ゲームクリエイターとして就職できるのは10%ぐらいらしいです。2年ないし4年間ゲームのことずーっと勉強してきて、さらに新卒カードまで使ってそれなんだから、それ以外はもっときついよね。

 

昔、「島田紳助」という、伝説的なタレントがいました。まあ、正直人間性はどうなんよって人です。お笑い界のトップに位置してたのに、好感度ランクには一切出てこない。ネットでは彼を叩くのが「正しい」行為だった。結局、反社会勢力と繋がっていたという疑惑で、芸能界を引退しましたけど。

で、この人芸能活動以外にも飲食店経営とか、アイドルのプロデュースとかで成功していて、物凄くお金や経営についてよく考えていたんですよ。彼の「常識」に対する考察が面白いんです。

 

「業界……例えば喫茶店が100軒あったとする。外から見たら、100軒全部が結構儲かってるように見える。でも実態は、4、50軒赤字。残り40軒がギリギリやってける程度で、儲かってるって言えるのは10軒程度。ぼろ儲けしてるのは数軒。そして、業界の常識は、失敗した9割が生み出してる。だから、常識から外れることを恐れることは一切ない。なぜなら、それは失敗する常識だからだ」

 

面白い考え方だと、個人的には思います。「常識」に従ったって、半分は失敗するし、残りも40%ぐらいも綱渡り。

 

ここで話が変わりますけど、ゲーム業界就職をちょっとでも目指したことがある人なら分かっていただけると思いますが、ゲーム業界って、競争率が激しすぎるせいで要求される能力が青天井なんですよね。正直、「ゲーム業界就職できる=もし並の業界・会社だったら、圧倒的な優秀さを発揮してあっと言う間に出世レースのトップランカー、もしくは現場でバリバリのどっちに行ってもひとかどの人物になれる」というぐらい、要求される能力のインフレが激しいと思います。例えばプログラマーなら、今ゲームプログラマーをやっている人々が一斉に業務システムやっているIT企業に転職したら、大半のIT業界のプログラマーは一瞬にして消し飛ぶでしょう。そんぐらい能力のインフレが激しい業界です。そんな業界に対して「就職」なんか目指したら、そら道中辛い思いばっかで、その上負ける確率は恐ろしく高くて、どんだけ分の悪いギャンブルなんだよ、と思うわけです。

 

その上、就職したところで、「自分の好きなゲームを作る」なんてことができるとは限らないし。

その辺は↓の記事の後ろの方でちょいと書いてますので。そちらを参照ってことで。

kenmicrogame.hatenablog.jp

さらに話は飛びます。「就職」ってどういうものなのかと考えてみると、「他人の評価基準によって自分という存在を値踏みしていただく」―どんなに怪しげな就活コンサルが必死こいてファウンデーションしようが、結局はこれなんですよ。外部の価値基準、ルールによって自分という存在の意義や価値を規定されてしまう。自分のあずかり知らぬところで勝手にジャッジメントされて、「お前は無能だ」という裁定を次々と下される。こんな悍ましく辛いことはない。

 

でもさあ……そもそも何でゲームクリエイターになりたいのか?

 

まあ、人によっていろいろな理由はあると思いますが、僕の場合「面白いゲームを遊びたい」。これが目的なんですよ。自分が理想とする面白いゲームを遊べたら幸せ。自分の考えたキャラを、自分の作ったステージの中で動かせたら幸せ。ゲームを通して、面白いストーリーを味わえたら幸せ、でも、そういう幸せがそろそろ他人が作ったゲームを買うだけじゃ満たされなくなってきた。ならDIYしようじゃないか。だからゲームを作る。これなんですよね。

今から思うと、ゲーム業界就職を目指してた時の僕は、目的と手段が入れ替わってたんですよ。ゲームクリエイターとして「就職」すると何がいいのか。その答えが、「ゲーム作りを仕事にするにはゲーム会社に就職するのが『常識』だから」。

おかしくね?と今になったら分かります。「手段」であるはずの「ゲーム会社への就職」が、気づいたら「人生のゴール」にすり替わっている。だいたい、その「ゲーム作りのためにはゲーム会社に入るのが常識」なんて世間的な思い込みに従ったところで9割方失敗するし、自分は案の定9割方に入ってしまったわけで。

 

でも、「ゲームは個人開発者として、ひとり同人サークルを立ち上げて作ろう」と考えてからのここ半年ぐらいは、「ゲーム会社に就職したい」という執着を、かなり手放せるようになってきました。まーそれでも完全に「はい、もうゲーム会社にはこれっぽっちも未練はありません」という領域に達している、と自信を持っては言えないところありますけどね。ただ、ゲームクリエイターを目指す万人がゲーム会社への就職を目指すのが最良というわけじゃないし、自分もそういう「ゲーム会社に就職することで幸せになれるタイプ」じゃない一人と気づいた。てな話。

 

どうにもね。さっきも言った通りゲーム業界なんて求められる能力が天元突破していますから。競争社会だし。やれプログラミングスキルだの、絵を描く能力だの、長時間労働常態化でも耐えられるかだのの競争に勝ち抜いて人を出し抜かないと就職できないし、出世しないと自分の企画も立ち上げられない。それに加え、狭い業界なので人間関係が無駄に濃密で、コネクションが重要だったりもしますし。僕は特に精神が普通じゃないので、人間関係にしくじってありとあらゆる可能性を失いました。

結局のところ、他人の尺度に自分を合わせていくことができなかった。人間としてのスペックも世間一般の水準より格段に劣っているし。そこから無理に頑張ったところで、別に会社で評価されるような人間にもなれないし、その先に自分の遊びたい理想のゲームもないだろうと思って、就職を諦めました。

 

それよりも今は、自分のペースで焦らずゆったりと、まずは自分が遊んでて楽しいかどうか?を基準にゲームを作りたい。長期的に見て、自分が幸せになれるかどうか。そっちを優先する。それを見失わないようにしないと、他人が作った判断基準に踊らされて痛い目を見る。

 

いや~ホント、「就職」を意識してから今までの軽く10年はずーっと、「自分は何故ゲーム作りをしたいのか?どんなゲームを作りたいのか?」が分からなくて、あるいは分かったところで実現する手段を知らなくて、苦しんでいましたね。新卒での就活は、作りたいゲームもないのにとにかく「学校卒業したらゲーム関連の仕事がしたい。ということはまずはゲーム会社に就職するのが第一歩であり最大の目的だ」とばかりに就活して撃沈して、自分に全然合わない企業に入っちゃって、結果周りと喧嘩して辞める羽目に。二度目の就活の時もそうです。手当たり次第にゲーム会社に応募書類を送って、落選して落ち込んで、精神が荒んでいって……たまに面接まで行っても、面接官が論破厨みたいな奴で、「面接=応募者VS俺どちらが正論で相手を打ち負かせるかの戦い。ゲーム業界で長年働いているから俺が絶対に勝てて超有利キモチイイイ~~~www」なんてこともあって。いや面接官どころじゃない、就職エージェントにまでそういう人間が存在するってんだからもう仰天。その頃はテスターとしてゲーム業界の端っこにかじりついてはいましたけど、またしても上司や周囲と不和ばっか起こして。自分なりに、世間が要求してくる尺度に合わせようと頑張ってはみたけど、結局自分にはできなくて、末期にはもう世間全員が敵しか見えなかった。

 

それがとあるきっかけでふっと「ああ、もうやめよう」と、一気に憑き物が落ちました。もう「ゲーム会社」の方を向くのはやめよう、と。

 

その代わり、個人開発という領域がきちんと存在することに今更になってようやく気付いた。ぶっちゃけ、個人開発のゲームなんて売れない。十中八九どころか、九割九分九厘「本業」にはなり得ない。「副業」止まりも「副業」止まり、小遣いにもならない。その代わり、スキルも経験も、若さも綺麗な職歴も高い知能も口の上手さも強いメンタルも何もない人でも、誰のハンコもなく「ゲームクリエイター」を名乗れる世界。

どうせ「常道」にはもう戻れないんだ、常道から外れたっていいじゃないか。こういうところなら、自分もゲームを作って、それで幸せになれるんじゃなかろうか。どうせ「長年積み重ねてきた地位や名誉」なんて存在しないんだ。やってみよう。

 

そういう感じで、管理人はゲームクリエイター「就職」を目指す必要性は「ない」と判断して、個人開発者になると決めた次第です。ゲーム会社に入ってやることの規模を1/1000に縮小して、誰の承認も必要なく好き勝手やっていく代わり、労力も自分一人で引き受ける。結局そういう生き方の方が、他人の評価を気にして無理に自分を矯正して、わざわざ自分を痛めつける必要がなくなる。そしたら生きる希望が見つかる。そう思います。なんだったらこっちの方がよっぽどゲームクリエイターになるための「常道」なんじゃないかと言いたいぐらい。

 

なんでもそうです。作曲家でも、イラストレーターでも、発明家でも、料理人でも、それで飯を食うような「生業」としなきゃいけない、名声を手に入れなきゃ価値はない……いや、そうじゃないんだ。自分がそれをやりたいなら、自分一人で好き勝手にやって、インターネットというインフラを活用して好きに公開して。で、それをマネタイズしたかったら、やってみればいい。そういう風に発想を転換したいものです。

 

とにかく、どうしても「就職」を目指すというのは、世間の尺度―もっと言えば、応募先の会社の尺度に合わせて自分を矯正する、ということになってしまいがちなんですよね。だけど、そんなパッケージングされた杓子定規な型で、本当に自分が幸せになれるのか―人間個人個人は多様だし、その個人個人はそれぞれ自分で自分の人生の目的、幸せの形を決めていいんじゃないか。

世間の尺度を気にしないで、自分一人で好き勝手やれる遊び場を作る方が、自分の幸せには近づく。そう考えると、ゲームクリエイター、あるいはそのワナビーのうちのけっこうな割合にとって、実際には「ゲーム業界就職」は不要なんじゃないか、と思えてなりません。

 

新作「ユニティちゃん生還中」リリース決定!

えーちょっと急な話ですが。

 

この度弊サークル「KEN micro game labo.」において、新作「ユニティちゃん生還中」を2023年5月19日(金)よりリリースいたします!

・DLsite予告ページ

www.dlsite.comちょーっと黒い話するとねー、できればメロンブックスの方で買ってくれると実入りがいいんだけどねー。

 

「ユニティちゃん生還中」とは、倉庫、街中、公園など様々なシチュエーションを舞台に、監視ロボット(ハンター)の捜索を掻い潜りながらエリア内に散らばった宝箱を制限時間内に回収して脱出地点より「生還」する鬼ごっこ×探索ゲームです。

 

以下が開発中のスクリーンショット。開発中なので製品版とちょいちょい違うところがあるのですが、だいたいの雰囲気はこんな感じということで。

※この作品はユニティちゃんライセンス条項の元に提供されています。
© Unity Technologies Japan/UCL

 

予価は330円(税込)ですが、発売後2週間は30%OFFセールを実施中です。是非是非皆様お誘いあわせの上お買い求めください。

 

 

 

以下裏話、というかこのゲームの制作話

皆様「run for money 逃走中」はご存じでしょうか。うん、あれです。芸能人たちが1秒ごとに上昇する賞金を手にするために真っ黒なスーツとサングラスの「ハンター」から逃げ回るあの番組。

で、この番組ですが、放送初期も初期、6回ぐらい放送した後、派生番組として「クロノス」という深夜番組が放送されまして。その番組では「逃走中」以外にも「密告中」「護衛中」などの派生ゲームを輩出していたのですが、そのレギュラー放送の最後に放映されたのが「生還中」というゲームです。

内容としましては、ロックハート城に閉じ込められたプレイヤーたちが、ロックハート城内にあるさまざまなエリアに潜入し、ハンター(※このゲームでは逃走中の黒スーツではなく西洋の甲冑姿。中の人は逃走中とおんなじだい)から身を隠しながら宝箱を入手していく。そして、宝箱の中には賞金のほかに、城門を開ける「鍵」が入った宝箱が紛れており、この鍵を入手したら迫りくるハンターに追いつかれる前に城門を開け脱出する……というものです。

ちなみにこの「生還中」、何故だかフジテレビオンデマンドでの「クロノス」の配信から漏れているので、現在合法的に視聴するのは非常に困難。ゲーム内容が「逃走中」系列に期待されるものと一切関係なくて大大大不評だった「討論中」と違ってあんま不評な話も聞こえてこないのに何故……。

お察しの通り、今回のゲームはこの「生還中」からアイデアをパク……お借りしたゲームです。よく見ると開発中のタイトル画面に「Unity-chan's "Chronos"」―「ユニティちゃんの『クロノス』」とありますがそれはこういう事情。製品版ではこの能書きはやむ落行きになりました。

まあゲーム内容としては本家本元「生還中」というよりは、一時期「逃走中」本編で、本戦後にオマケコーナーとして関東ローカルや一部ネット局で放送されていた「お小遣い獲得ボーナス」の方が近いですが。

つまり何が言いたいかって言うと、鬼ごっこにはゲームの出で来はじめの祖と言っても過言ではない面白さがありますねえ。色んな派生ゲームを作れる遊びはいい遊び。

無理矢理結論をつけようとしたらこんなちょっと何言ってるか分からない結論になってしまった。

実績ゼロの開発者が初めて出したゲームはどれぐらい売れたのか?

さてさて、いつの間にやらおかげさまで発売1ヶ月を経過いたしました「KEN micro game labo.」初作品「アイ・アム・戦闘員」!

DLsite: 

https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ01039710.html

melonbooks

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1878720

 

まあ、あれでも営利目的ではあるので、実績ってもんが欲しいわけですが、さてどんぐらいになってるんでしょうか……

 

まずDLsiteの販売実績……

 

0!!!!!

 

つづいてmelonbooksの販売実績……

 

0!!!!!

 

合計は……

 

0~!!!!!

そりゃそうだろ!あんなゲームなんかやった日にはプレイヤーのメンタルは虚無の極みになるってもんじゃんよ!

まあ、とりあえず体験版をプレイしてみてくださいよ。あれが全てです。製品版は、タイムリミットが30秒から5分に伸びるだけ。そもそも5分もプレイし続けるのが苦痛だけど。

そりゃね、例えばこれがキャラゲーで、ショッカー戦闘員とか黒十字軍ゾルダーとして仮面ライダースーパー戦隊に原作の必殺技食らってド派手にやられるゲームだったらそれでもやるとは思いますよ。でもプレイヤーはUnityにおけるサンプルオブサンプルオブサンプルのロボットカイル君、相手もよく分からん犬×5。プレイしてて楽しいわけないじゃん。まだ「ゲームメカニクスはクソだけどとにかく演出やグラフィック周りは見ていて素晴らしいからやる価値はある」とか「グラフィックはアセットそのまんま使っただけだけどゲームメカニクスは滅茶苦茶面白い」ならいいけど。

その上開発者本人も「どんな感性を持てばこの『ゲー無』が面白いと思えるんだろう」と分かり切ってたから!生みの親本人が否定するようなゲームを、誰が楽しめるってんだよ!っていう話でね。

 

これちょいと裏話というか、言い訳というかがあるんです。このゲームは、今となってはもう昔のことだが管理人がゲームクリエイターとして就職を目指していた時、就職のための実績作りとして出そうとしてたゲームだったんですよ。要するに、「作品を作れる力はとりあえずある」と自分が言うためだけの。

でも、専門学校生ならまだしも20代中盤に差し掛かったオッサンがこんなもの出したところで、ネットに「こんな酷い応募者がいたんですよ~www」と晒されるのが関の山ってもんでね。況や求職者じゃないただの個人開発者がこれ出してきて「さあ遊ばせてやるから100円払え」と言った場合においてをや。

 

ちなみに、「ゲームを一つ完成してリリースさせたら、その分だけ力がつくんだよ!」とはよく言われますが、ではこのゲームをリリースしてよかったこととは……。

 

……ぶっちゃけて言うと、無いです。だって、楽しくて開発してたわけじゃないんだもの!バイト時代、終業後や休日を潰してまで成果の出るわけがない就職活動のために作ってたものを流用した。だから、このゲームを出してよかったことは無い。「KEN micro game labo.のゲームはクソゲーだから買ってはいけない。100円をドブに捨てたいのなら実際にドブに捨てた方が時間の浪費がない分遥かに生産的だろう」っていう認識がこのゲームを目撃した人に発生しただけ。

 

えー、読んでる側がテンション下がるようなこと書いてすいません。ただ、一番大事な再発見があったかな、とは思います。

 

それは、「自分で開発してて楽しくないゲームを人様にプレイしてもらえるわけがない

これは間違いないんじゃないかな。ゲーム制作ってあーんな『ゲー無』でも、僕個人の主観ではけっこう労力かかったなー、と思ってます。でも、ホントにツラかったのは、その労力が報われるという希望が、妄想レベルですら一切見えないまま作ってたことです。自分でテストプレイしてても面白くないし。

で、その原因はやっぱり、「就職活動のために実績用のゲーム作らなきゃ」という半ば義務的な出発点にあって。そうなると道中でも「どうせ就職用のサンプルでしかないんだしこんなもんでいっかー」がずーっと続いて。そしてそのテンションのまんま到着のリリースも「あー就職失敗しちゃったなー。この残りかすどうしよ。とりあえず形だけ整えてDLsiteとメロンブックスに置いとくかー」と投げやりでやったとこ、正直あります。

 

結局のところ、ゲームを楽しみたいなら消費者として楽しめばいいだけなはずのところを、どうしてわざわざ難しいプログラムなんかを勉強して、多大な労力をかけてゲームを開発するのか。

 

「まだこの世に存在しない、自分が理想とする面白いゲームを作りたいから」

 

本来、これが最初に来るんじゃないでしょうか。自分が思いついた面白いゲームメカニクスを試して欲しい、自分の考えた可愛い女の子を縦横無尽に動かしたい、自分が描いた美しい世界の中を自由に歩き回りたい……色んな動機があると思いますが、とにかくそれがあってこそ、開発が大変でも「自分の理想とするゲームが出来上がりつつあるんだ!あー早くプレイしたい!頑張ろう!」となるわけで。

 

ちと話はズレるけど……僕みたいに就職に失敗してリタイアしていく人がいる一方で、夢だったゲーム業界に就職出来た!っていう人もいるわけです。僕からしてみたら「うわぁ勝ち組だ、きっとこれから栄光のゲームクリエイター人生を歩んでいくんだろうなあ、ああなんて羨ましい」なんて思うわけですが、そんなふうにせっかく過酷な生存競争を勝ち抜いてゲーム業界に入れたのに、その人はゲームクリエイターとして人生の成功者になるどころか、やりがい搾取されまくってボロ雑巾のようになって捨てられた……なんて話が後を絶ちません。

こういうのも、「自分の理想とする面白いゲームを作る」という部分がなくなって、ゲーム開発が給料をもらうための義務になっちゃうからだと思うんですよね。会社に入ったら「自分の理想を詰め込んだ、自分が遊びたい面白いゲーム」じゃなくて、「何やら自分のあずかり知らぬところでお偉いさんが思いついたらしき儲かるゲーム」を自分が面白そうと思うか思うまいかに関わらず無理矢理作らされるのが基本だから。でもそんな風にゲームを作るのが辛くないわけがない。ゲームクリエイターの待遇なんて、余程の大手パブリッシャーを除けばその要求される能力や労働量を考えると明確に悪いですし。

だから、「自分がゲーム作ってて楽しいこと」というのがないと、ものすごく大変なことになると思うんですよね。個人開発者が別に他人の指図なんて受けずに勝手に作るんだったら、「わざわざ他人のために自分自身はちーとも面白いとは思えないゲームを多大な労力をかけて作る」という苦痛を背負うなんてチャンチャラおかしい話なわけです。

 

そういうわけで、次のゲーム(実はストックあったのです)は自分で遊んでて面白いゲームを出そうと決意したという話。就職やノルマに追い立てられているわけではないので、じっくりやるのが正解だと思います。とりあえずプレイヤーキャラは当分ユニティちゃんで。

マスターアップしました!

えー随分と長くかかってしまいましたが……

 

完成しました!

 

いやー良かった。

ミニというのもおこがましいまさに「マイクロ」ゲームですが……でも、やっぱ「こういう完成品をリリースしました!」っていうのがあるのとないのではなんというか、自信が違ってきますからね。

 

無事ストアの審査も通りまして、4/7(金)にDLsiteとメロンブックスDLで販売開始される予定です。その名も「アイ・アム・戦闘員」。特撮黎明期の戦闘員のスーツアクター役を体験するという建付けのゲームになっています。お値段たったの110円。お気軽にお買い求めください。販売URLにつきましては発売後にTwitterとブログでご案内いたします。

 

ちなみに黒い誘導ですが、メロンブックスDLの方で購入してくれると管理人が喜びます。掛け率と売上金の振込という意味で。DLsite、売上が3000円以上に到達しないと振込んでくれないのよ。